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2024/03/25

玄米食は実は最近広まった? 玄米の歴史をご紹介!

玄米食は実は最近広まった?   玄米の歴史をご紹介!


私たちの日々の食事には欠かせないお米。

日本食と言ったらお米を使った料理やメニューが必ず出てきますよね。

日本では昔、白米は高級品だったと言われていますが、代わりに玄米が主流だったのでしょうか?
いつから玄米は食べ始められたのでしょうか。

今回は玄米の歴史についてご紹介いたします。


 

○玄米(米)が日本に入ってきたのはいつ?


玄米食は実は最近広まった?   玄米の歴史をご紹介!

日本に米、稲作が伝わったのは、約3000年前の縄文時代の終わり頃に中国から朝鮮半島を経由して、北九州に入ってきたのが始まりと言われています。(伝わった経路は諸説あり)

その時に入ってきたお米は、今の日本で食べられている白くて丸いもちっとしたお米とは違い、長細い赤みがかっているパサついたお米だったのではないかと言われています。
その時は、白米や玄米という概念はなく、もみ殻が付いたまま、稲の実そのままを焼いて食べていたとされています。

分厚いもみ殻が付いたままを焼いていたと考えると、今の白米などと比べて、相当固く食べづらかったと思われます。
お米が伝わる前は、ドングリなど硬い実を食べていたようですね。
ですので、この時代には白米はおろか、玄米を食べるということはありませんでした。

その後、弥生時代には日本全国に稲作が広がり、精米の技術や調理方法も変わっていきます。

 

○白米の登場、当時庶民は食べられなかった


お米が伝わった当初は、今のように白いお米ではなく、赤や紫などの色をしたお米でした。
このお米のことを現在は古代米と呼んでおり、古代米は病気や虫などに強かったと言われています。

稲作が進んでいくことにより、稲の遺伝子の変化で白米が出来るようになりました。

古代米と比べて白米のほうが美味しく、食べやすい米だったので、白米を積極的に作るようになったと言われています。
まだ、白米はとても貴重なもので、当時は精米にもとても労力が必要だったので、白米は身分の高い人しか食べることが出来なかったとされています。
庶民は、この頃はまだ赤米や黒米を主食としており、白米を食べたとしても、真っ白なお米ではなく、玄米に近いものでした。


この時代には縄文時代と違い、もみ殻を取り除いて、精米して食べるという事が広がっていきます。
もちろん今のように精米機などはありませんので、もみ殻を取り除くために、臼と杵でお米をついて、もみ殻を取って玄米にしていました。
この時に、玄米のお米同士が擦れていくのと同時に、ある程度のぬかも取れて傷がつくので、今で言う玄米の状態とはまた少し違い、もっと白米寄りに精米されたお米に仕上がっていたと思われます。

このお米をさらに別の臼と杵でついて白米にしたものを、身分の高い方が食べていました。
当時の技術では白米にするにはかなりの重労働です。

なので、庶民は玄米に近いものを食べていましたが、今で言う玄米の状態では当時は食べていません。
この頃の庶民のお米は現在で言うと、玄米をもう少し精米した(白米に近づけた)一分つき米~二分つき米くらいになっていたと思われます。

精米の方法の違いもありますが、玄米を食べるためには白米よりも、長く調理する必要があったので、火、薪や調理時間などを多く使わなければならなかったため、玄米よりももう少し精米した状態のほうが食べやすく、基本だったようです。

 

○奇病が発生!原因は主食のお米?


玄米食は実は最近広まった?   玄米の歴史をご紹介!

段々と時代の変容により、農業の技術が発達し、お米がたくさん作れるようになり、精米の技術も向上、機械なども作られるようになりました。


江戸時代には、政治が安定して、身分の高い武士だけではなく、庶民も白米が食べられるようになるなど、白米を食べる文化が広がっていきました。
江戸などの都市部では、玄米などを避けて、白米をたくさん、おかずは少しという食事のスタイルになっていました。


しかし、その頃から都市部では奇病が流行するのです。


その奇病は「江戸わずらい」と言われ、
地方から江戸に訪れた大名や武士たちが、江戸に来ると、体調が悪くなり、足元がふらふらする、寝込んでしまうなどの症状が出るようになります。
ところが、地方に帰るとすっかり治ってしまうというものだったので、とても奇妙がられました。
中には命を落とすかたも少なくなかったようです。
その後、江戸わずらいの原因は不明のまま、江戸だけではなく、大坂や京都などの都市部にも広がり、明治時代に入るまで続きました。


この江戸わずらいの原因は脚気(かっけ)という病です。
当時、江戸では白米が一般化し、おかずは漬物など少しだけでした。
これにより、ビタミンB1が欠乏し、体調不良や足元のふらつきなどの症状が出ることになったのです。
そして、地方に戻ると元気になる、というのは、地方ではまだ玄米を中心に野菜などを食べる食生活だったため、ビタミンB1の不足、欠乏が改善したという訳です。


まだ食事や食物の流通が乏しかった時代、今よりも多くのおかず、副菜を食べることが出来ていませんでした。

その分、主食の米を多く食べることで、栄養とお腹を満たしていたのです。
もみ殻を取り除き、玄米のぬかや胚芽を落として白米にすることで、玄米では得ることの出来ていた栄養素を摂ることが出来ていなかったのです。
玄米には、白米にはないぬかや胚芽に、私たちの身体に必要なビタミン、ミネラル、食物繊維がとっても多く含まれています。
つまり、この時代よりももっと昔から、玄米の持つ栄養素で日本人は支えられていたということですね。


 

○玄米食がすすめられるようになったのは最近!



江戸わずらいが脚気による欠乏症だったという事が判明したのは、明治時代に入ってからです。
そして、医学や栄養学の進歩により、脚気があまり見られなくなったのは、昭和になってからです。
近年では、様々な食物が私たちの周りにあり、たくさんの物をいつでも食べられるようになって、白米が中心の食生活でも脚気を発症することはなくなりました。


元々、もみ殻を臼と杵を使って手でついていた時代から、精米機が今のように自動で高精度になり、私たちが知る玄米が作れるようになったのは、1900年頃です。
そして、様々な研究や健康への意識が高まり、玄米が身体にいいスーパーフードとして注目され始めたのは、平成に入ってからと言われています。
意外と最近になってからなんですね。
この数年では日本国内だけでなく、海外からも玄米の持つパワーが取り上げられるようになりました。



3000年以上前から日本人の主食として、必要不可欠なお米。

その中でも玄米には私たちの身体にとても必要な栄養素が多く、知らぬ間に今まで支えられてきました。
精米の技術の向上で、昔とは違って、より多くの栄養素を残したまま、玄米として食べられるようになりました。

現在では米以外にも主食になるものは多くありますが、ここまで栄養素を含み、身体の健康に役立つ主食は玄米以外にはありません。

今では主食として食べる以外にも玄米には様々なアレンジ方法もあります。

今一度、玄米の持つパワーに注目して、日々の食事に取り入れて、健康に役立ててください。

 
管理栄養士、栄養教諭、フードコーディネーター 上垣 綾
PROFILE

管理栄養士

上垣 綾 UEGAKI RYO

管理栄養士、栄養教諭、フードコーディネーター等の資格を取得し、今まで、保育園・企業・福祉施設など乳幼児から高齢者まで幅広い方々の献立作成や、メニュー開発、栄養指導など行なってきました。
健康や生活に役立つ玄米についてのコラムや、玄米を美味しく楽しく食事に取り入れて頂けるようなレシピの紹介など、お伝えしていきたいと思います!

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